soubou8131’s blog

INTP-Tとのこと。無為徒食徒然大学生(二十歳)

これまでの足跡

保育園

ずっと一人でいた ひなたが好きだった

ぼーっとしていた あらゆる認識があやふやでそれを楽しんでいた

 


小学校

嘘をよくつく子供だった よく喋った

どんな秘密もバラしてしまった 友達より大人によく話しかけた 運動が苦手だった

極端だった 疲れると仮病を使うずるいやつだった 緊張に弱かった 試合に出るのが怖かった へたくそな自分に自信が持てなかった

 


中学校

嘘をよくついた 小学校と違って軽蔑されているのがわかった 誰もまともに話してくれなくなった だから一人にはなれなかった いつも誰かの後ろを着いて歩いた 人をよく殴った 他人の痛みには理解を示さないのに自分が痛い思いをすると怒った

ふざけて相手に悪いことをしても決して謝ることはなかった 自分より弱いやつとよくつるんだ 運動が苦手だった うまいやつが怖かった そういうやつらから逃げ回っていた

 


高校

集団を嫌った 自分より弱いやつの集まりにいった 変わらず人を見下した 嘘をついた 嘘がバレるのが怖かった やっぱり強いやつは怖かった 野球から逃げた 生物学ができると思い込んだ つけあがって自慢した 本当はそんなことなかった 何もない平凡な人間だった 親密な人間がいなかった 誰とも仲のいいような態度で接した 本当は全員見下していた もう誰の下にもなりたくなかった 無理に強いやつを演じた

 


大学

一人になった 誰とも心を打ち明けられなかった 人間を利用した 強いやつを演じた 大きな嘘をついた もう嘘はつきたくなかった  素直になりたかった 傷ついた 人に近づいた 人を遠ざけた 人を傷つけた わからなくなった それも忘れた 考えないようにした 考えないようにした 他人がいなくなった 1人になったことにすら気づけなかった 孤独感はなくなった 自尊心もいらなくなった 愛はどこかに置いてきた 悲しみも痛みも消えた 哀しかった

スキゾイドと飲み込まれ不安

通院を手伝ったりしていた友人に、パーソナリティ障害だという診断が出た。パーソナリティ障害とは、大多数の人とは違う反応や行動をすることで本人が苦しんでいたり周りが困っているケースに診断される精神疾患のこと。何種類もあって、〜性パーソナリティ障害と名前がつけられる。彼女がどのパーソナリティ障害であるのかは聞かなかったけれど、少し調べてみた。

すると、その中にジソイド性パーソナリティ障害というものがあった。またの名をスキゾイドというらしい。この特徴がどうも自分にぴったりと合ってしまい驚いた。今まで、自分の何か異端なところを感じることは結構あったし、変なやつだともよく言われた。MBTIのような心理学の手法を使って説明してみても、どうも自分のおかしさのようなものをうまく捉えられずにいた。スキゾイドはその捉えられなかったモヤモヤにぴったりとはまった。

 

 

 

のみこまれるもの、

のみこまれぬもの、

のみこまれえぬもの。

 


スキゾイドというのは、飲み込まれ不安というものからくるらしい。飲み込まれ不安とは自己と他者が同一化することで自我を保てなくなってしまうのではないかという不安。誰からも必要とされず捨てられてしまうのではないかという不安である見捨てられ不安とは対極の立場にある。いきすぎた見捨てられ不安が他者との同一化を求めるのに対して、飲み込まれ不安は他者との絶対的な隔離を求める。

よく世の中で耳にする「わたしを見捨てないで〜」みたいな歌詞にまったく感情移入できなかったのはこれが原因かとも思った。「抱きしめて〜」みたいな曲も全くわけが分からなかったが、おそらく強すぎる飲み込まれ不安から来るものだろう。スキゾイドはその強い飲み込まれ不安のため、無意識のうちに共感性を排除してしまう。たとえば、スキゾイドは人を人格のないモノとして扱う傾向がある。感情的で深い関係を拒絶するために、あえて人に感情がないと思い込むのだ。

はじめ、卒業研究を印象生物学や動的平衡というテーマで進めようと思ったのも、これが原因かと思った。人を人として見たくなかった。すべてはモノであり、生きものもその中の一部でしかないと言いたかった。

 


遍路に来てから撮れた写真には仏像の写真が多かった。どの仏像も光の中にあった。そこには、自己と他者を区別できない感情の泥沼から抜け出したいという、垂直上昇の願望が表れていた。仏像は決して私を飲み込まない。

以前、山田先生にこれを撮りたいというものはあるか?と聞かれて、人間。と答えたことを覚えている。人間からは逃げられない。最後には人間と向き合うことになるだろうと思っていた。

 


道中、旅人に出会った。50代くらいだろうか。日本縦断の途中だという。ロードバイクにリアカーをつけて走っていた。自分も大きなパニアバックを2つ付けて、その上にテントや鍋やサンダルをぎゅうぎゅうに縛っていたから似たものどうしだった。同じように自転車で旅をしている人に出会ったら一緒に写真を撮っているという。彼のケータイで写真をとった。

自分もコンデジを持っていたから、撮らせてほしいとお願いしようと思ったが、出来なかった。いまだ人間に向かえない。

 


仏像は人として扱えたのかもしれない。疲れて山の上の寺に着いたとき、そこにいたのは人間だった。動かない石という形で自分の前に現れただけの人間。そんなことを考えたような、考えないような。

 

 

 

その後も様々な場面でお接待としてみかんをもらったりお金を頂戴することがあった。神奈川から来た歩き遍路のおじいさんは、若い頃九州を自転車で一周したことを思い出すと言って千円札をくれた。自分のように自転車で周っていた丸いヒゲのおじさんは500円をくれた。みんな、「君はどこから来た?」「これからどうする?」と質問をしてきた。大抵、自分のことについての質問だから、自分のことを一通り説明をした後、「そちらもお気をつけて」などそれらしい声をかけて立ち去った。立ち去ってから、はて自分も何か質問をした方がよかったのか?などと思い返す。もしかしたら自分のことを話したかったのかもしれない。悪いことをした気分になって、もう一度やり直したくなる。失礼のないようにその場をやり過ごすことだけを考えていた自分を自覚し、改めてがっくりときてしまう。「人間に興味がない。」「人を見下している。」誰かに言われた言葉をまた思い出す。

 

 

 

 


どうやらこの旅は、自分の無意識を自覚する旅らしい。仏像を撮っているとき、何かを撮っているという感覚があった。垂直上昇の願望。のみこまれうるもの。無意識の自分。

写真を撮ることでそういったものを自覚しているような気がする。

いまだ人間は撮れない。それでも、仏像の裏に透けて見える無意識の自分は、のみこまれうるものへ向けた自分の姿そのものではないだろうか。のみこまれうるものが排除されたこの写真群は、果たして何かを表現することができるのだろうか。

野宿自転車お遍路日記:準備編1

思ったことを書き連ねる。山田先生に遍路中は写真と文章を提出しろと言われた。もうすでに遍路に行く支度は整えたので、そろそろ書き始めておこうと思う。

今日は考えることがいっぱいあって疲れてしまった。こんな調子で遍路は大丈夫なのだろうか。


野外にタープを張ってゼミをした。雨が降ると思っていたけど降らなかった。風が気持ちよかった。緑が滲んで見えるほど濃く鮮やかだった。

 

9月も終わる 冷えてきた

 

みんなで集まって雑談をした。久しぶりに集団で会話した。立場を見失う。

盛り上がるのも沈黙も苦手だ。体なんて溶けて一つになってしまえば会話なんてしなくて済むのに。


それぞれの写真を撮った。

集合写真はコラージュにするために、一人ずつポーズをとらせた。卒アル委員なので仕方がないのだけれど、こんな仕事放り出したいような少しまんざらでもないような不思議な感覚を覚える。意識すると疲れてしまうから低血圧な脳みそをさらにぼんやりとさせる。

 

いつの間にかプリクラを撮りに行くことになっていた。相変わらず意味がわからない。

卒業アルバムの個人写真にするのだという。

今日はいないメンバーにこのことを文言で伝える徒労を予想しながら付き添う。

ここで全員の個人写真が撮れてしまうのは都合がいいいのだけれど


帰りにバイトをしているドーナツ屋に行った。

先生に自分もいれば半額になることを耳打ちしたからだ。あの瞬間が今日一番活気があったかもしれない。

 

店に行くと先生はドーナツを手掴みにしてトレーに載せた。店に申し訳なくなる。

店長はレジでドーナツを落とした。取り換えに行っている間、自分から話をしてさりげなくそれを誤魔化す。

アルバイトがドーナツを打ち間違えて、それを指摘しようとするところをうやむやにして足早に店を立ち去らせる。

出口で礼を言われたが、なんだか自分のおかげで安くなったということを自慢したかっただけのような後味の悪さだけが残る。帰りたい。

 

 

遍路に行こうと思ったのはこういう感覚のためかもしれない。

 

大学を中退してバイトと筋トレをしている半マッチョに話をしたら旅に同行することになった。本来の目的からは逸れるが、1人で行くことのリスクを考えなくて済むのは楽だ。

卒業研究という名目で授業を休んで行くのだから、研究室にはこの事実はあまり知られたくない。

知られるにしろ、それなりの言い訳を考えてからにするつもりだ。


昔からこんな感じで、何かあるごとに両者に都合のよい情報を知らせることでその場を収めようとする癖がある。今日は疲れている。板挟みになるのは元気な時だけでいい。

 

はぁ

文章を書くことも疲れる。

話をしただけでは消えてしまうからこうしなければならないのだけれど。

 

写真を撮ることもそうだ。自分がシャッターを切りたい時に切れればそれでいい。

卒業研究のためにこれから一貫して何を撮り続ければいいのだろう。

 

よく分からないまま遍路の準備を進める。

逃げたいような、忘れたいような、ぼんやりとした感覚だけがずっとあるような気がした。

先日、送迎にて

花火大会のアルバイトをしてからというもの、明るく活気のある人間に魅力を感じていた。

人目を憚らず爆笑するような人間は、大抵深く物事を捉えようとしない、無能な人間だと思ってきた。事実、そこまで思慮が深くない人間が多いだろうと今でも思っている。

しかし、思慮が深いだけが人間にとって果たして良いことなのだろうか。考えすぎて暗い空気を身に纏っている人間もいる。友人がそうだ。

少なからず、自分もそんな友人の影響を受けてこんな空気を纏っているのだろうか。

もう少し自分は社会に顔を出すべきなのかもしれない。そう思った。

森の中ではたくさんの木が目印になる。自分がどこにいるのか確認するためには、まずはたくさんの木を見ることだ。

 

そんなことを考えていた矢先、夜中に一本の電話がかかってきた。友達と呼ぶには少々疎遠だが、ある程度話の分かり合える女性の友人からだった。

明日の朝、母親と祖父母を駅まで送りたい。しかしタクシーは予約で埋まっていて困っている。祖父は足が悪いから車を持っている自分に送迎を頼みたい。そんな内容だった。

ただ、朝は早く5時半には家を出たいという。

花火大会も終わり、不規則な生活を送っていた自分にはこの時間に起きているというのがとても難しいものに感じられた。

結果、その友人宅で良ければ母や祖父母と共に泊まってもいいという話があったので、仕方なく甘えさせてもらった。

 

友人宅に着くとパジャマ姿Mが出てきた。Mは自宅の中に自分を招き入れると母親と祖父母を紹介してくれた。挨拶を済ませると自分は部屋の隅に腰をかけ、なるべく暗い雰囲気を漂わせないように、静かに、存在を薄くしていった。

Mの母親は電話の反対から聞こえてきたように、やはり騒がしく活気のある人だった。

自分が家に着くなりお菓子やチューハイを机の上に用意し始めると、好きな俳優のツイキャスが終わらないからとか言って、携帯を握りしめたまま風呂場に行ってしまった。

Mも陽気に見せるのが得意だったから、その母親を見て妙に納得してしまった。

その後のMと母親のやりとりを見ても、互いにそそっかしくも面白おかしいやりとりが繰り広げられた。それを見て祖父母は時折笑った。暖かい家庭を感じた。

思慮深さも話の内容も全くあってないようなものばかりであったが、ただあんな風に人が集まり笑い合う空間に、私は例え難いような感覚を覚えた。

その後、我々は早朝の出発に備えて寝ることにした。Mの賃貸には部屋が2つあったから、祖父母は隣の部屋に、私とMとMの母親はそのままこの部屋で雑魚寝をすることになった。

 

その夜はいつになく穏やかだった。

時間の流れもゆっくりと流れていくような気がした。

寝転がって壁を見つめると、常夜灯に照らされた張り紙の陰がぼんやりと揺れていた。まだ作業中のMはテレビの正面にいたため薄暗い部屋はその暗さを保ったまま、色とりどりの表情を見せた。不思議と、回る盆提灯のように色の移り変わりは穏やかで心地よかった。

 

翌朝、約束通りM一家を車に乗せて無事駅まで送り届けた。

M一家に別れの挨拶を済ませ帰ろうとすると最後、Mから手紙を受け取った。帰ったら開けてほしいとのことだった。

帰宅後、手紙を開けてみるとMの走り書きの礼を述べた文章と5000円が包んであった。

「これはM家からのお礼なので好きなものを食べたり見たりに使ってください」

してやられた!あの家族のことを思い返して顔が綻んだ。

久しぶりに暖かい気持ちになった。

久しぶりの単発バイト

大学生活も、もう3年目。どんなものでも楽しいと思えるのは2周目くらいが限度だろう。それが年単位となれば尚更。

正直、飽きてきた。

やれインターンだの、やれ就活だの。そういう時期にも差し掛かってきた。

不安を感じない訳じゃないし、何をすれば正しそうなのかだって多分なんとなく分かってる。でも、それじゃ満たされない何かがある。

きっと高校入試や大学入試なんかと一緒で、努力すればするほど本来の自分とは乖離した場所に辿り着いてしまって、苦しくなるだけだ。

ただ、このまま何もしないってのも、生き物と呼べるのかどうか怪しい。

せめて、自分から行動を起こせるだけの活力がどこかから湧いてこないものか。そうすればこの終わりのない洞窟からも抜け出せるのに。

 

そういえば最近、久しぶりにアルバイトをした。長岡の花火は大きいから、花火大会当日は大変混雑する。単発のバイトも手軽で高給なものが多い。

正直、花火なんてそう何回も見ても面白いものでもないし、花火大会は2日間あったから、1日目は単発のアルバイトを入れた。

そして、これが本当に久しぶりに社会と関わる機会だった。

事前の情報では駐車場整理をやらされるという話だったが、いざ行ってみるとトイレの整理係というアルバイトだった。

大会会場付近のイオンは人でごった返すため、トイレにも沢山の人が来る。それをスムーズに捌くために列の整理をする係である。

人が増えた時にはそれなりに仕事があるが、そうでない時には何もすることがない。まあ、増えてもどうせ並ばせるだけなのだから、必要な仕事などほとんど無い。せいぜい漏らしそうな子供を従業員用のトイレに誘導するくらいだ。

当日の作業員は私を含めて6,7人程度。みな初対面であった。その中には年下の子も2人いた。なんでも他にもバイトを幾つも掛け持ちしているらしい、活気のある子たちだった。

2人ともまだ高校生のような素ぶりで、持ち場を離れてはウロウロし、暇そうな自分に話しかけてきた。

そのうちの片方の子がこれといって顔が整っている訳ではないが、いい笑顔をする女の子だった。まさに怖いもの知らずの女子高生といった感じで、休憩中すれ違う見知らぬおじさんにもハイタッチを要求するさまだ。

久しぶりにこんな騒がしい人間に出会った。

しかし、こんなにも笑顔を(質が良いかどうかは置いといて)誘導する人間を見るのも本当に久しぶりだった。

ギャハギャハと軽く人を蔑称するような笑みも零しはするが、決して悪意のあるものではなかった。それを周囲も感じ取っているようだった。

実情はどうであれ、人を笑顔にすることは良いことだ。帰り際、普段なら絶対に笑わせないであろう警備員のおじさんにも悪ふざけを仕掛けて笑わせたり、置き忘れたドリンクを届けに走ってきた警備員と腹を抱えて笑ったり。

そして、自分がどうやってもその枠の中に入り込めなかった。

何か自分からは暗い瘴気のようなものが、クーラーの冷気の如く溢れ出ているように感じられた。